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三月に卒業生を送りだすと、新年度の新入生を迎える。これまで二年の基礎演習というゼミを受け持ってきた。今年も、最初のゼミの授業が始まった。どんな学生たちなのか、毎年のことながら、期待しながら待ちかまえる。例年、ずっと定員十四名で通してきた。あまり数が多くなると、コミュニケーションが悪くなる。幸いというべきか、ぼくの経歴が変わっているので、学生の応募は、いつも定員の三倍くらいになる。志望、あるいは選択の理由を書いてもらい、それを読んでから、十四名にしぼるのだが、いつもながら気の毒な気分にさせられる。せっかく、ぼくのゼミを志望してくれたのだから、選んでやりたいのは山々だが、全員の要望に答えることはできない。ものを書きたいという切実な動機を持っている学生などを、選ぶ基準にすることが多い。あまり優等生的な志望理由を書いている学生は、取りたくなくなる。
今年は、学生課から、是非にと頼み込まれ、とうとう十六名を選ぶことになってしまった。二人ふえたことは、ぼくには、かなりの重荷である。なぜかというと、ぼくは、人名音痴なのだ。子供のころから、人の名を覚える努力を、放棄してしまったからである。開業医だった父親は、他のことでも博覧強記だったが、人名に関しては天才的な記憶力があった。過去に来た患者さんの病歴はもちろん、いつ来院したか、家族構成はどうなのか、そのほか趣味にいたるまで、何千人分も覚えていたのである。数年ぶりに訪れた患者さんは、先生はそんなことまで覚えていてくれたのかと、たいてい感動する。そのせいか、患者さんの信頼は、絶大だった。ぼくには、あの真似は、とうてい不可能である。他人の顔と名前を覚える努力を、すっかり諦めてしまったのだ。
幸か不幸か、ついた仕事が仕事だから、いっぺんに目の前にいる相手は、ひとりだけという稼業を長年つづけてきた。つまり、担当編集者である。そのひとりの氏名も怪しいもので、ときどき忘れたりする。そんなわけで、学生の顔と名前が一致するようになるまで、そうとうの時間がかかるのである。
まず、親睦のため、コミュニケーションのため、宿舎へ学生を招く。
家内がいるときは、料理のプロだから、御馳走を用意させる。そうでないときは、馴染みの魚屋さんから、お刺し身を届けてもらい、ぼくの手料理ということになる。これは、韓国風で、焼き肉に、ユッケジャン・クッパとか、メウンタンなど、スープ料理が多い。スープのなかに飯を放り込むのが、韓国風の食べ方である。洗練されてはいないが、学生の肚だけはいっぱいになる。
家内の今年の料理のメニューを、上げておこう。
四月十九日 豊田ゼミ 宴会メニュー
○ 新たまねぎと水菜のサラダ、桜海老入り
○ いかの炒めもの韓国風
○ ペンネのミートソース
○ 穴子の野菜あんかけ
○ 鳥の唐揚げ、ねぎソースかけ
○ ゆでだこのコチュジャン和え
○ 小あじのソテー、新じゃがバター煮添え
○ 牛肉とトック(韓国餅)の炒めもの
○ 竹の子ご飯、スペシャル・チャーハン、イカわた風味
○ パンとチーズ
○ デザート、甘夏の桂花陳酒ジュレかけ
という具合である。ちなみに竹の子ご飯、チャーハンは、二度にわたって炊いた五合ずつ、計一升という量である。
学生たちは、満腹して帰っていったが、ぼくの戦いは、これからである。まだ、学生の半分も名前を覚えられないのだ。
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