秋学期はじまる。

豊田 有恒

 夏休みが終わった。というと、かならず教務課から、訂正を求められる。学生は休みだが、教職員は、休みというわけではない。夏期研修期間であって、夏休みではない、というわけだ。
 実際、遊んでいたわけではない。あまりの忙しさに、読者の皆さんには申し訳ないが、このいまゐネットのHPは、一回だけ休載にさせてもらった。七月に授業が終わると、八月あたまから、韓国へ行った。学生の研修旅行に同行するためである。慶北大学からの交換教授の王先生が、先発した学生を連れて、ソウルへやってこられた。そこで、研修の後半の監督ということで、落ち合う約束だった。
 今年も家内を同行した。その分は、もちろん自費である。
 家内も、けっこう役に立っている。片言ながら、韓国語が読めるし、特に女子学生の相談には、乗ってやれる。去年は体調を崩した学生がいたが、男の教官には言いにくいらしい。幸い大事に至らなかったが、帰国後、婦人科に入院することになった。
 そんなわけで、家内を連れて、王教授とともに、ソウルを案内した。博物館の見学のあと、近くで昼食ということになった。蔘鶏湯[サムゲタン]を食べたいという希望が多かったので、慶福宮[キョンポックン]近くの家内が知っている有名店に連れていった。漢江[ハンガン]のクルーズなどソウルを満喫して、夜は王先生が予約しておいてくれた韓国式レストランで、異国情緒を学生に味合わせることができた。翌朝は、ホテルの近くの食堂で朝食、これも、うちの案内。ソウル滞在の僅かなあいだだが、二食分は、日本人のぼくたち夫婦が案内したのである。
 王教授のお姉さんの嫁ぎ先という豪華マンションには、目を見張った。ご主人が、マスコミ界の大物だという。ゴージャスな気分にひたれた。
 さて、ソウルを後にすると、前々から乗りたかったKTXで大邱[テーグ]へ向かう。この韓国新幹線は、フランスのTGVシステムを採用している。
 日本の新幹線より、一回り小さいのは、設計思想の違いだろう。日本は、明治五年、イギリスのモレル技師の判断から、狭軌を採用してしまった。狭い車輪の幅に、いかにして充分な大きさの車体を乗せるかが、その後の課題となった。そのため、新幹線を広軌で建設することが決まると、広い幅の車輪だから、充分な大きさの車体を乗せ、しかも高速を出せるという見込みが立てられた。その点、フランスは、もともと広軌なのである。したがって、次世代の高速鉄道という目標に向けて、安定を保ち、高速を可能にするためには、高さを抑え、車幅を小さくしなければならないという方針になった。
 KTXの普通車は、横四席という配置になっている。学生と別れてから、帰りは特室(グリーン車)を奮発してみた。これは、通路の片側二席、もう一方は一席という配置で、新幹線より狭いのである。
 話が前後するが、大邱へ語学と異文化の研修に来た学生たちを送りだしたあと、醴泉[イェチョン]へ向かった。ここにある慶道大学にも、うちの大学の学生が滞在している。こちらは、別なグループで、儒教文化体験というテーマになっている。韓国の儒教は、朝鮮王朝時代は、国教に定められていた。本家の中国より、熱心に儒教を学んだのである。とりわけ、この一帯は、近くの安東[アンドン]を中心として、儒教の総本山のような存在だった。有名な李退渓[イーテゲ]の儒学は、江戸幕府にも大きな影響を与えている。
 さて、現在の若者たちは、儒学よりショッピングのほうが面白いらしい。先方の関係者に安東へ連れていってもらったが、もっぱらファッション・ストアの梯子である。
 大邱にしろ醴泉にしろ、先方の関係者が、わが大学の学生たちの面倒を、ほんとうによく見てくれる。これも韓国人の国民性のひとつである。コリアン・ホスピタリティーと言う。韓国式な歓待というわけである。しばしば、韓国人の反日が、問題になる。ほんとうに嫌いなのかというと、そうでもない。日本を意識しすぎているのである。アンチ巨人の人は、ほんとうはジャイアンツが好きなのだという逆説的な言い方がある。あれと似ている。
 県立大学を代表して、韓国語で、挨拶と御礼を述べて、醴泉をあとにした。
 学生たちは、台風が接近するなか、予定を繰り上げて、釜山から福岡へフェリーで戻った。われわれ夫婦は、全州へ回ってから、ソウルへ戻り、台風をやり過ごしたようなかたちで、帰国したのである。
 帰国してから、論文に追われ、ようやく秋学期を迎える。



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