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先日、同僚の教授から、テレビに出ていましたねと、きかれた。その記憶がないので、聞き返すと、ニュース番組だったという。萩・石見空港の開港十周年とかで、乗客にバラを配っていた。その際、バラをもらったのである。テレビカメラがあるのは気づいていたが、回っているとは思わなかったのだ。
初めてテレビに出たのは、三十年以上も昔のことだった。高松塚古墳の壁画が発見されたとき、さっそく被葬者探しが始まった。そのころ、「歴史と人物」という雑誌から、天武朝の原稿を頼まれていたので、その中で話題のトピックに触れ、高市皇子説を書いてしまった。若かったから、怖いもの知らずだったせいだろう。
さすが天下のNHKというべきだろう。高市皇子説のプライオリティーを調べてくれたらしい。そこで、ぼくに出演依頼が来た。ほとんど無名の作家だから、他の説を唱えたお歴々と比べたら、ネームバリューが劣る。三十そこそこの若造としては、これまで本でしか読んだことのない高名な作家や、著名な碩学といっしょだったので、すっかり緊張した記憶がある。
それ以来、テレビ、ラジオに出演することも、仕事の一部になった。NHK「歴史発見」だとか、柔らかいほうでは「イレブンPM」とか、いろいろな仕事が、舞いこんでくるようになった。
比較的はやい時期に、島根県にも来ている。もう30年ちかく昔のことになるが、「遠くへ行きたい」という番組で、出雲神話を取り上げることになり、ぼくのところへ依頼がきた。日御碕の先端の岩場で、夕日の彼方の朝鮮半島に向かって、韓国語で呼びかけるというエンディング・シーンは、ぼくのアイデアだった。
そのほか、衛星放送やら、なにやら、出雲だけでも、3、4回はテレビに出ている。
大冒険に近かったのが、水曜スペシャル「マヤ文明の謎」という番組のコメンテーターを仰せつかって、メキシコ、グアテマラで一ヶ月すごしたとき。ウシュマルのピラミッドの階段では、三日前ドイツ人の観光客の老婆が、転落死したときかされ、いい気持ちはしなかった。ジャングルを移動するとき、メキシコ人のスタッフに機材を運ばせたのだが、アルミケースの把手を持って、ぶら下げて運んだのでは、絵にならないという理由で、ディレクターのOKが出ない。わざわざ肩に担がせて、ジャングルの中を移動した。これなど、昔なつかしいターザン映画の影響だろう。
NHKでは、「野性号」というプロジェクトにも参加した。弥生時代の船を復元して、韓国から北九州へ漕いでくるという、いわば実験考古学の日韓共同プロジェクトだった。
テレビの威力は恐ろしいもので、レギュラーで登場すると、顔が売れてくるものらしい。テレビ朝日「パワーワイド」というニュースショー番組に、毎週金曜日のレギュラー・コメンテーターとして、ほぼ一年でつづけた。仙台の町を歩いていて、テレビに出ている人でしょう、と尋ねられたことがある。
ただ、テレビは、一過性のものなので、名前や職業までは覚えてもらえないらしいから、小説家としては本の売れ行き増進には結びつかない。
あんまり顔が売れすぎると、悪いことができなくなる。それほど悪いことでなくても、酔っぱらって他人にからむとか、怪しげな本を買うとか、できなくなるだろう。幸い、テレビ朝日系のチャンネルは、島根県にはないから、「パワーワイド」を見たことある人は、いないだろう。
そのうち、日本語だけでは済まなくなった。NHKの海外放送では、韓国語で喋らされた。また、四月七日は「鉄腕アトム」の誕生日だとかで、英語放送にも引っ張りだされた。
そんなわけで、現在に至っているのだが、偶然にテレビに写されたというのは、まったく初めての経験だった。
これまでも、島根県の宣伝に一役かうため、テレビに出るときは、まったく関係のない企画でも、この次は島根県を扱った番組をやりましょうというふうに、あれこれと企画を出してみた。たとえば、「古寺巡礼」というNHKの番組では、ぼくに聖徳太子に関する著書が多いことから、四天王寺ということで出演依頼が来たのだが、このつぎは島根県の古寺を取り上げませんか、というふうに水を向けてみた。今のところ、蒔いた種が実ったことはないのだが、やがて実現するだろう。
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