韓国旅行

豊田 有恒


 今年の夏休みは、ほとんど浜田には、いなかった。大学教授になって、事務方から訂正を求められる業界用語のひとつに、夏休みがある。学生は夏休みなのだが、先生はべつだん休みというわけではなく、夏期研修中というわけである。言われてみると、そうかもしれない。秋学期の準備や、紀要の論文の執筆など、やることがないわけではない。
 ところが、今年は、ほんとうに夏休みではなく、夏期研修中になってしまった。
学生を引率して、韓国へ行ったのである。話は、去年にさかのぼる。韓国への引率教員に志願したのだが、ロシアのイルクーツクへ行く教員がいないので、そっちへ回ってくれと言われた。バイカル湖のそばのイルクーツクは、それなりに面白かったし、勉強にもなった。旧ソ連の崩壊直前にモスクワ、旧レニングラード(現サンクトペテルブルグ)、キエフなどを訪れたことがあるから、いちおうキリル文字だけは読めるようにしておいた。例のロシア文字のことである。ロシア語は、まったく判らないが、通りの名前など、固有名詞が読めるだけでも、かなり役に立った。あのときもそうだったが、ロシアでは英語が通じないので苦労させられた。
 その点、韓国なら、住んで生活したことがないから、ヒアリングは苦手だが、新聞くらいは読めるし、こちらが考えていることは、韓国語で話すことができる。

 島根県は、韓国の慶尚北道と姉妹提携している。その縁で、慶北大学校から、教授を招いている。慶北大には、語学研修中の学生が、滞在している。前半は、慶北大からの交換教授で、本学で韓国語を教えている李宗煥[イジョンハン]教授が担当し、後半は、ぼくが担当ということになった。といっても、李教授のホームグラウンドだから、ぼくに任せておくわけにはいかなかったのだろう。あれこれ、お世話になった。

 韓国語の授業にも出ようと思ったが、なんだか学生を監視しているようなので、遠慮することにして、自由時間に付きあわせてもらうことにした。お腹をこわした学生がいたくらいのもので、大過なく済んだので、随行教員としては責任を果たせたことになるだろう。

 ロシアへ行ったときも考えたのだが、家内を連れていってやればよかったと、感じたものだった。そこで、こんどは、その分は自費で負担することにして、家内を同行した。男だと、細かいところに目配りができない場面がある。うちの家内は、ぼくの韓国道楽に付きあって、なんども韓国へ行ったことがあるし、三十年前から毎年キムチを家で造っている。韓国の話をすると、きりがないのだが、四半世紀も昔、日本のマスコミが北朝鮮を美化し、韓国を貶めるのに躍起になっていたころ、ぼくの一家は、毎年、韓国で夏休みを過ごしていた。

 日本語の判らない友人の中央日報の記者の一家と、我が家の一家五人で海水浴に行ったことがある。友人も同年輩で、我が家と同じく同年配の三人の子持ちである。当時、小学生だった我が家の三人が、友人の子供たち三人と、海岸で遊んでいる。貝を拾ってくると、うちの子がチョゲと呼ぶ。友人の子が、カイと日本語で言う。つまり、おたがいに単語を交換しあっているのだ。子供たち六人の行動範囲は、海岸の裏手の田圃に広がった。ある朝、家内が悲鳴を上げた。子供六人が、本日の収穫を、得意そうにぶら下げている。
 大きなトノサマガエルである。家内は、蛙が嫌いだから、驚いたわけだが、ぼくは、別な意味で驚かされた。うちの子が、チャムケグリ、チャムケグリと叫ぶと、李家の子供たちが、トノサマガエル、トノサマガエルと口々に言いたてる。
 ぼくも蛙のことを韓国語でケグリということは知っていた。だが、トノサマガエルまでは知らなかった。子供同士で遊んでいるうちに、だんだんお互いの言葉を教えあうようになったのだ。親の口からいうのも変だが、感動的な光景だった。口先だけで、日韓親善を言う人は、掃いて捨てるほどいるだろう。だが、実践しなければ、なんにもならないことを、子供たちから教えられたのだ。

 さて、そんなわけで、三十年もコリア・ウォッチャーとして、韓国に関わってきたし、韓国について書いた本は、小説もふくめれば、十冊はくだらないと思う。

 さて、話しが横道にそれてばかりいるのだが、学生の随行で行った慶北大である。朝食は、大学の食堂で、韓国料理のビュッフェ形式だが、学生のなかには、これに飽きたという子も、出てくる。そこで、家内が、大邱[テーグ]市内のスーパーで買ってきた日本の味噌で、味噌汁を作って呑ませてやったりもした。

 韓国のことを書くと、あれもこれもになって、なかなかまとまらない。来月は、学生といっしょに行ったユニバーシアード大会の開会式について書くとしよう。北朝鮮の「美女軍団」も眺めてきたので、その報告もすることにしよう。乞う、ご期待。

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